平成16年(し)第258号
決定
申立人 袴田 巖
上記の者に対する住居侵入、強盗殺人、放火被告事件の確定判決に対する再審請求事件について、平成16年8月26日東京高等裁判所がした即時抗告棄却決定に対し、特別抗告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は、憲法違反、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない。
所論にかんがみ、職権をもって判断すると、所論引用の各証拠が同法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たらず、本件再審請求を棄却すべきものとした原判断は、正当として是認することができる。
その理由は以下のとおりである。
1 本件再審請求の対象は、住居侵入、強盗殺人、現住建造物等放火の事実を認定して申立人に死刑を言い渡した第1審判決(以下「確定判決」という。)である。この判決に対しては、申立人が控訴、上告を申し立てたが、いずれも棄却されて確定したものである。
(1)確定判決が認定した罪となるべき事実の要旨は次のとおりである。
申立人は、静岡県清水市(当時)所在の有限会社●●商店(当時)の第1工場従業員寮に住み込み、同工場でみそ製造工員として勤務していたものであるが、昭和41年6月30日午前1時過ぎころ、同社の売上金を、もし家人に発見されたときは脅迫してでも奪おうと考えて、くり小刀を携え、同工場と鉄道線路を隔てて所在する同社専務取締役●●雄方住居に侵入して金員を物色中、同人(当時42年)に発見されるや、金員強取の決意を固め、同人方の裏口付近の土間において、所携のくり小刀(刃渡り約12cm)で、殺意をもって同人の胸部等を数回突き刺し、さらに、同居宅内において物音に気付いて起きてきた同人の妻●●子(当時39年)の肩、顎部等、●●雄の長男●●郎(ママ)(当時14年)の胸部、頚部等、●雄の次女●●子(当時17年)の胸部、頚部等をそれぞれ数回前記くり小刀で突き刺し、●雄が保管していた前記会社の売上現金20万4915円、小切手5枚(額面合計6万3970円)、領収証3枚を強取し、さらに、●雄ら4名を前記住居もろとも焼燬してしまおうと考え、上記工場に置いてあった石油缶在中の混合油を持ち出して、これを●雄ら4名の各被傷体に振り掛け、マッチでこれらに点火して放火し、よって、●雄らが現に住居に使用しかつ現在する木造平屋建住宅1棟(約332.78㎡)を焼燬し、●雄を右肺刺創等による失血、●●子を胸部刺創等による失血と全身火傷、●●郎(ママ)を胸部刺創等による失血と全身火傷、●●子を心臓刺創等による失血と一酸化炭素急性中毒によりそれぞれ死亡せしめて殺害したものである。
(2)確定判決及びその事実認定を是認した控訴審判決(以下両者を併せて「確定判決等」という。)は、その判示に照らし、上記罪となるべき事実の認定のうち、申立人の犯人性について、申立人の自白を除いた証拠のみによって優に認定することができるものとしていることが明らかである。
すなわち、確定判決等が申立人の犯人性を認定する中心的な根拠としている客観的な証拠は次のアないしウのとおりである。
ア 昭和42年8月31日、前記工場1号タンク内から製品であるみそを取り出していた作業員が、同タンクの底に近いところから麻袋を発見した。この麻袋内には白ステテコ1枚、白半袖シャツ1枚、ネズミ色スポーツシャツ1枚、鉄紺色ズボン1本及び緑色パンツ1枚の5点の衣類(以下、これらを「5点の衣類」という。)が入っていた。5点の衣類には、下着に至るまで多量の、しかも被害者らの各血液型と一致するA型、AB型、B型という複数の人血が付着していたほか、鉄紺色ズボンの右足及び左足部分の各前面部、ネズミ色スポーツシャツ及び白半袖シャツの各右袖上部に損傷があり、白半袖シャツの損傷部分には内側からにじみ出て付着したと認められる人血(B型)が付着していた。同タンクには、昭和41年7月20日に新しくみそ原料が仕込まれており、この仕込みの後は同タンクの底部にこれらの衣類を隠すことはほとんど不可能であって、このことに、同工場は被害者宅裏口から約31.8m、同タンクは工場入口から約21.7mの距離にあって、犯行現場に近いこと、その他、犯人が本件犯行の前後に同工場に出入りしたことをうかがわせる情況証拠も少なからず存することを総合すれば、同タンクから発見された5点の衣類は、犯人が被害者らに対し前記各刺創等を負わせた犯行時にこれを着用していたもので、犯行後、新しくみそ原料が仕込まれるまでの間に同タンク内に隠匿されたものと認められる。
イ そして、5点の衣類のうち、鉄紺色ズボンについては、申立人の実家から発見された端布が、その共布であると認められることなどから、同ズボンは申立人のものであると断定することができる。また、緑色パンツについても、こがね味噌の従業員らが、本件以前に申立人が緑色パンツをはいているのを見ており、同従業員の中で、申立人以外に緑色系統のパンツをはいている者を見たことがないと述べていることなどから、申立人のものである疑いが極めて濃厚である。そして、他の衣類もそれらと同じ麻袋の中に血に染まって一緒に入っていたこと、以上の衣類はその種類等から見て、同一人が同時に着用していたものとみるのが自然であること等の状況に徴すれば、他の衣類も申立人のものと認められる。
なお、控訴審において、申立人をして鉄紺色ズボンを試着させたところ、同ズボンが申立人の体格には小さすぎるためにはくことができなかったという事実がある。しかし、関係証拠によれば、同ズボンには製造業者を明らかにする番号のほか「寸法4」「型B」などと記載された布片が縫いつけられていて、縫製時の腰回り寸法は約83cmであったが、寸法直しにより腰回りが約3cm詰められたものであり、そのサイズは、申立人が控訴審当時はくことができた別のズボンの腰回りに徴すれば、申立人がはくことができるものであったことが明らかであって、申立人が鉄紺色ズボンをはくことができなかったのは、同ズボンが長期間みそタンク内でみそ漬けとされた後、乾燥したことにより収縮したためであると認められるから、申立人が同ズボンをはくことができなかったとの事実は、同ズボンが申立人のものであったとの認定を左右するものではない。
ウ これに加えて、本件発生後、申立人の右上腕前部に傷あとがあり、これが犯行時に着用していたとみられる5点の衣類のうちの白半袖シャツの右袖上部の損傷の位置とおおむね一致し、しかもその損傷部位に内側からにじみ出た状態で申立人の血液型と同型のB型の血こんが付着していたこと、申立人の右下腿中央から下部前面に打撲擦過傷こんがあり、鉄紺色ズボンの右足前面下部にもそれに相応するような損傷があること、本件の直後申立人の左手中指に鋭利な刃物によると思われる切創があったこと、本件犯行による火災発生後に申立人が着用していたパジャマにも申立人以外の、しかも被害者らの血液型と合致するA型及びAB型の人血の付着が認められるほか、混合油の付着も認められること、申立人においてこれらについて合理的な弁明をすることできないこと、申立人には犯行時のアリバイがないこと等の事情がある。
2 所論は、再審請求審において提出した新証拠と確定審における旧証拠とを総合評価すれば、申立人の犯人性を認定した確定判決の判断には合理的疑いが生ずるとし、「無罪を言い渡すべき証拠をあらたに発見した」場合に該当すると主張している。
(1)刑訴法435条6号の再審事由といえるためには、新たな証拠等により、確定判決において詳しく認定判示されたところの一部について合理的な疑いを生じさせることでは足りず、そのことによりさらに進んで罪となるべき事実の存在そのものに合理的な疑いを生じさせるに至るものでなければならないというべきである(最高裁平成7年(し)第49号同10年10月27日第三小法廷決定・刑集52巻7号363頁参照)。
(2)この観点から所論の援用する新証拠をみると、5点の衣類が犯人の着衣であると認められるかどうか及びこれらが申立人のものであると認められるかどうかという点に関するものについては、これらを旧証拠と総合評価することにより、確定判決の認定に合理的な疑いが生じると認められるならば、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たるということになろう。しかし、本件において、この点に関する新旧全証拠を総合しても、申立人の犯人性を認定する旧証拠の証明力が減殺されたり、情況証拠による犯人性の推認が妨げられるものとは認められない。
この点につき、所論は、5点の衣類をはじめとする申立人の犯人性を支える旧証拠は、捜査機関等によりねつ造されたものである疑いがあるなどとも主張する。しかし、5点の衣類及び鉄紺色ズボンの共布と認められる端布の発見の経過は、記録によれば、前記1(2)ア、イに述べたところに加え、次のとおりであると認められる。
すなわち、5点の衣類が在中した麻袋は、1号タンクの底に近いところから発見されたものであるが、同タンクは深さが1.65m以上もあり、同タンク一杯に8t以上のみそを約1年間仕込むものであって、この仕込みの後は同タンクの底部にこれらの衣類を隠すことはほとんど不可能である。そして、同タンクで出来上がったみそは、昭和42年7月25日から逐次取出しが始まり、同年8月31日に最後のみそを取り出す際に前記のように5点の衣類在中の麻袋が発見されたものであるところ、仮に隠匿・ねつ造するとすれば、発見直前にならなければ隠匿することは困難であると考えられ、また、申立人の着衣又はこれに酷似した衣類を用意し、これに複数の血液型の人血を付着させるなどの作為が必要になる。しかし、これら5点の衣類及び麻袋は、その発見時の状態等に照らし長期間みその中につけ込まれていたものであることが明らかであって、発見の直前に同タンク内に入れられたものとは考えられないし、上記のような作為をすることも困難であると思われる。また、事件後間もない昭和41年7月4日に実施された1号タンクを含む前記工場に対する捜索の際には同タンクの中から麻袋は発見されていないが、この捜索の際には、みその残っているタンクについてはそのみその中を改めることまではしていないものであったことからすれば、捜索当時底の方にみそがまだ残っていた同タンクに5点の衣類隠匿されていたとしても矛盾はなく、また、同タンクには、同月20日に新しくみそ原料が仕込まれているので、その際までに隠匿することも可能であったということができる。次に、上記端布は、昭和42年9月12日に申立人の実家で申立人の実母立会の下に実施された捜索差押の際、たんすの引き出しの中から発見されて任意提出されたものであるところ、申立人の実母は、この端布につき、昭和41年9月末ころ工場の寮から送り返されてきた申立人の荷物の中にあったものであると説明している。
このような各証拠の発見、押収等の過程は、格別不自然なものではなく、そこに作為を介在させる余地も乏しいのであり、その他、記録を精査しても、証拠ねつ造等をうかがわせる事情は見当たらない。所論は、合理的な根拠があるものとは認められず、採用することはできない。
(3)また、所論は、確定判決の犯人性認定が申立人の自白に依拠しているとの前提に立ち、新証拠によれば、逃走経路等、重要な点で申立人の自白には真実に反する点があって信用できず、この自白を除外すれば申立人の犯人性認定に合理的な疑いが生じると主張する。しかし、確定判決は、前記のように自白を罪となるべき事実を認定する証拠とはしておらず、自白を除いた証拠のみによって申立人の犯人性が認定できるとしているのであるから、所論は、そもそも再審事由の主張として失当である。さらに、この点に関し、申立人の自白に係る態様で被害者方裏口から脱出することは不可能である旨の所論について付言すると、被害者方裏口の扉は、内側から開けて通行することが極めて容易な構造であった上、現に犯人が脱出した直後の裏口扉は開いていたと認められることなどに照らし、これが通行不可能ないし困難な状況にあったという所論は、前提を誤っており、採用することはできない。
(4)なお、所論は、申立人の真実に反する自白は、真犯人ならば必ず知っているはずの事実を知らないという意味で、申立人が「犯行についての無知」な者であって、積極的に無実であることを示しているとする趣旨の心理学者作成に係る鑑定書及び同補充書等を援用し、真実に反する自白それ自体が犯人性を否定する証拠であるとも主張する。しかし、同鑑定書等において真実に反する自白等として指摘されている点をもってしても、申立人の自白が信用性に乏しく、これに依拠して事実を認定することができないという限度を超えて、それ自体で積極的に無実であることを示しているとまでいうのは、論理に飛躍があるというほかはないし、この点をおくとしても、前記1(2)のとおり本件における客観的証拠による強固な犯人性の推認を妨げる事情とはなり得ない。
3 以上によれば、申立人が本件住居侵入、強盗殺人、現住建造物等放火事件の犯人であるとした確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じる余地はなく、本件につき刑訴法435条6号所定の再審理由は認められないとした原決定は相当である。
よって、同法434条、426条1項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
平成20年3月24日
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 今井 功
裁判官 津野 修
裁判官 中川 了滋
裁判官 古田 佑紀